Qatar Dohaへ
ブラジル大会、ロシア大会に続き、ちょんまげ隊の一員として現地でのボランティア活動のサポートを行う。11月22日早朝にABU-DABI経由でQATAR DOHA入りをした。
さて、ロシア大会から4年半、過ぎてみると早かった。カタールと聞いて先ず私が思い出すのは、1979年のイラン革命だ。
当時私はイランのドイツ、シーメンス原子力発電所の先行立上げ(海水淡水化)現場にスーパーバイザーとして日本人20人位と共に居た。いよいよ、日本チームが引き揚げようとしていた矢先、イラン革命が本格化し、ホメイニ師がフランスからイランに戻る段になり、空港が閉鎖され帰国出来なくなった。確か2月から3月の2週間経っても旅客機が飛ばずに留まらざるを得なかった。日本チームプロジェクトマネジャーから、船をチャーターしカタールに逃げようと言う案を聞いて、カタールって何処??(右マップの赤印がイラン原発Bushehr地域) 原発現場からペルシャ湾の対岸の真南にカタールは位置していた。
40数年経ってそのカタールに来るとは!
その後、ドイツからルフトハンザ航空が救援に来る事となり、ドイツ人、日本人全員ドイツのフランクフルトに逃げる事が出来、そこで解散となった。不幸中の幸いでヨーロッパを短時間だが廻ることが出来た。
未だテレックスの時代、1ドル220円? ヨーロッパ、エコノミー往復70万円の時代だった。現場に持って行ったカセットテープの中には中島みゆきの「時代」があり、毎日の様に聴いていた。